東京高等裁判所 昭和35年(ネ)629号 判決 1962年10月11日
判 決
控訴人
中嶋規矩男
右訴訟代理人弁護士
小田泰三
日野魁
三宅省三
被控訴人
山口慶蔵
右訴訟代理人弁護士
岡田実五郎
佐々木熙
右当事者間の昭和三五年(ネ)第六二九号預り金返還請求控訴事件について、つぎのとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張と証拠の関係は左記に附加するほかは原判決摘示のとおりであるから、それを引用する。
一、控訴代理人において、(一)被控訴人の主張によれば、被控訴人は他に転売して利益を得る目的をもつて控訴人に対し被控訴人が米軍当局から米国ビタミン注射薬の払い下げを受けられるよう斡旋ありたい旨を依頼し、その払い下げ代金にあてる趣旨で金三〇万円を控訴人に預けたというのであるから右委託行為は商法第五〇一条第一号の利益を得て譲渡する意思をもつてする動産の有償取得を目的としてなされたもの、すなわち絶対的商行為というべきである。(二)かりに、そうでないとしても、被控訴人は当時ビタミン注射薬の販売を業とする商人であつたから右委託行為は商法第五〇二条の商人がその営業のためにした附属的商行為というべきである。(三)したがつて、右委託行為の解除によつて生じた金三〇万円の返還請求権は商法第五二二条の適用を受け、五年の時効によつて消滅すべきものであるところ、被控訴人が右委託契約を解除し権利を行使し得るにいたつたのは昭和二二年春頃であるから、このときから五年を経過した同二七年四月末日右消滅時効は完成したというべきである。よつて右時効を援用する。かように述べ、証拠(省略)
二、被控訴代理人において、(一)控訴人の当審における時効の抗弁は、故意または重大な過失によつて時機に後れて提出した防禦方法であり、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものであるから、その却下を求める。(二)被控訴人は、原審において、本件委託契約は昭和二八年七月三一日控訴人に到達した内容証明郵便をもつて解除したと主張し、控訴人も原審において同日右書面による解除の意思表示を受けた旨を自白している。(控訴人の当審における右解除の日時を昭和二二年春頃である旨の主張は自白の撤回であるから、これに異議がある。)したがつて、本件三〇万円の返還請求権の消滅時効は委託契約解除のときから進行を開始すべきであり、本訴の提起された昭和二九年一二月一三日までに時効は完成しておらず、その抗弁は理由がない。かように述べ、証拠≪省略≫
理由
一、控訴人が昭和二〇年一二月二〇日頃被控訴人から金三〇万円の交付を受けたことは当事者間に争いがない。右金員が如何なる趣旨のもとに交付されたかの争点については、当裁判所は、原審が事実認定の資料に供した証拠と当審における被控訴人本人尋問の結果を綜合し、原審と同一の認定をし、控訴人が主張するような運動報酬ではなく、被控訴人の主張するビタミン注射薬払い下げ代金の預託であると判定するものである。原審並びに当審における控訴人本人の供述中右認定に添わない部分は措信できないし、当審証人の証言(省略)の証言中右争点に融れる部分はいずれも伝聞にかかるか、そうでないとしても情況的、間接的のもので右認定をくつがえすに足りない。
もつとも、(証拠―省略)によれば、前記三〇万円の授受当時被控訴人は物価統制令違反、業務横領の刑事事件に問われ保釈中の身であつたばかりでなく、関係会社との間に相当多量の砂糖につき所有権の帰属をめぐる民事紛争を生じていたこと、控訴人は多年米国に留学し、語学に堪能であり、かつ米軍政部関係に数名の知己のあつたこと、そこで、被控訴人は、右刑、民事事件を有利に導くべく、その頃塩川某の紹介で初めて識つた控訴人に対し米軍政部関係者に陳情その他提出書類の翻訳等を依頼し、控訴人においても右依頼に応じ奔走、尽力した形跡がうかがわれるのである。この認定に反する原審並びに当審における被控訴人本人の供述部分は措信できない。
しかし、原審並びに当審における控訴人本人の供述中右認定の限度をこえる部分、殊に本件三〇万円が米軍政部関係者に対する運動の報酬として供与されたとの部分の措信できないことは前記のとおりである。けだし、昭和二〇年一二月当時における三〇万円といえば相当の金額であり、これを識り合つて間もない控訴人に対し、しかも運動の功を奏するかどうか未定の段階において、予め報酬として給与するというがごときことは、被控訴人側に前段で認定したような当面の民、刑事事件を解決しなければならない差し迫つた事情があつたにせよ、他に強度の信頼関係が存在した等首肯するに足る特段の事情のない限り、当裁判所を納得せしめるに足らないからである。
二、控訴人が本件ビタミン注射薬の払い下げについて、被控訴人のための斡旋をしなかつたことは控訴人の明らかに争わないところであり、被控訴人から昭和二八年七月三一日頃到達の内容証明郵便をもつて控訴人に対し右不履行を理由とする委託契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いがない(もし、控訴人が解除の日時を昭和二二年春頃であると主張することによつて、叙上自白を撤回したとするならば、その自白が真実に反し、かつ錯誤にもとづきなされたものと認むべき証拠がないからその撤回は許されない)から右解除にもとづく原状回復のため控訴人は被控訴人に対し預託金三〇万円を返還すべき義務を負担したものというべきである。
三、そこで、時効の抗弁について判断する。
(一) 被控訴人は、時機に後れて提出した妨禦方法であると主張し、却下を求めているが、本訴における弁論の経過をたどると、この抗弁の当否を調査することが訴訟完結の遅延を招来するものと認められないから、その主張は採用できない。
(二) 控訴人は、本件委託行為を商法第五〇一条第一号前段の絶対的商行為であると主張するので、右委託の趣旨を考えてみる。米軍当局から目的物件の払下を被控訴人の名義で受けるのか、或いは控訴人名義で受けるのか、証拠上は必らずしも明確でない。そのいずれにせよ、払下を受ける側とその相手方である米軍との取引関係をみると、そこに絶対的商行為の成立する余地がないとも限らない。しかし、被控訴人と控訴人との関係においては、どこまでも、払下を受ける実質上の主体は被控訴人であつて、控訴人ではない。控訴人は、たんに被控訴人のため目的物件の払下が実現できるよう米軍当局との間を斡旋しようというのである。もし、斡旋が功を奏し、払下が実現した場合には、控訴人は(被控訴人名義で払下を受けた場合は民法第六四六条第一項により、また控訴人名義で払下を受けた場合は同条第二項により)被控訴人に対し目的物件を引き渡すべきであつて、その場合両者の間にあらためて売買その他有償の債権契約を結ぶというがごとき行為を予定していない。それが本件委託契約の本旨と観るべきである。果してそうであるならば、本件委託行為は商法第五〇一条第一号に掲げる物件の有償取得を目的とする行為に該らないというべきであるから、この点の控訴人の主張を容れる余地はない。
(三) つぎに、控訴人の本件委託行為は附属的商行為である旨の主張について考えてみる。被控訴人が右委託行為の当時ビタミン薬の販売を業としていた事実を肯認できる証拠はないばかりでなく、当審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人はその当時如何なる営業にも従事していなかつたことが認められるから、被控訴人が商人であることを前提とする右主張も採用できない。
(四) そうすると、本件預託にかかる三〇万円の返還請求権につき商法第五二二条本文の適用のあることを前提とする控訴人の時効の抗弁は、その余の判断をまつまでもなく排斥を免れない。
四、すると、控訴人は被控訴人に対し金三〇万円とこれに対し訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和二九年一二月二四日以降完済まで年五分の割合による損害金を支払うべき義務があるから、その履行を求める被控訴人の請求を認容した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がない。よつてこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九五条にしたがい、主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第二民事部
裁判長裁判官 大 場 茂 行
裁判官 町 田 健 次
裁判官 下 関 忠 義